うま兄貴の「回る~回る~よ、お寿司は回る♪」~一人酒編
うま兄貴です。
サービス終了後、汗を流すために銭湯へ。その後、酔いの勢いで(風呂前・風呂後にガソリン=お酒補給)、寿司屋に行きました・・・・。
もちろん「回る」お寿司屋さんです。
回るお寿司を見ながら飲む酒は、一緒に頭も「ぐるぐる」回り始め、気がつけば日本酒をお代わり。
最近たまに行く回転寿司屋は「3貫盛り」と言って、一つのお皿に別ネタ三種が一貫ずつと言う素敵なお皿が豊富で、大酒飲み・少食のうま兄貴は、重宝しております。
「鰻・はも・旬あじ」三貫盛り一枚で、酒一合・・・・。ガリは食べ放題の、無料な「肴」。
写真は、鰻と言うことで、鰻大好きだが、一年に2回くらいしか食せない私の、せめてもの「写真で満足~サービスショット~」。
東京「野田岩」のうな重です。もうすぐ、土用の丑の日ですね~。
さてさて、一人回転寿司で、寿司と回るのと平行し、うま兄貴の酔いも「回り」始めた頃。
最近の若者は~
と思ってしまう、昨今。
その一つに「寿司の注文を、職人さんに、臆することなく、子供も若者も、注文できる」事です。
目の前の子供が
「おじさん!トロ、さび抜きで!!」
なんて、「粋(イキ)?」に注文する姿を目の前にしたり、学生さんが「お願いします」もつけず、「ウニとイクラ!」など鼻であしらうように職人さんに注文する姿は、申し訳ないが「いかがなもんかね~」と思ってしまう。
私が子供の頃、寿司はおろか、たまに行く料理屋さんで、自分の食べたい物を「見ず知らずの大人である、店員さん」に伝えることは、とても恥ずかしく、難しいことであった。
今でこそ「外食」は、当たり前であるが、うま兄貴の子供の頃は「外食」をすることなど、ほとんどありませんでした。
そんな幼少の頃、生まれて初めて「カウンターの寿司屋」デビューを果たすことになった思い出。
家族・親戚とともに、「銀座」の「カウンターの寿司屋」に行くことになった我々兄弟は、「興奮」とともに「不安」でもあった。
うま兄貴は「もしや、一家心中前の最後の贅沢」など、ドラマ仕立てに、本気で心配しました。
今までこの方うま兄貴家族は、寿司は「出前で食べる物」と思っていた。そんな我々にとって、その「カウンター寿司デビュー」は、母親の前日からの「教育」に始まった。
「自分の食べたい物を、お寿司屋さんに一つづつ、自分で注文するのよ!」
「必ず、○○をお願いします、と、『お願いします』を最後につけるのよ!!!」
「赤い色のお寿司は、一人3つまでよ!!!」
こんな感じでしたもんで、幼い私には「不安」が強い「デビュー」となったのでありました。
いまでこそ「ずーずーしく、店員さんどころか、誰にでも話しかけてしまう」うま兄貴も、幼少の頃は「恥ずかしがり」であり、結果、母親に全部注文してもらう始末。
覚えているのは「イクラ」(「赤い色のお寿司」)がとても美味しかった事と、「大人の世界」へ足を踏み入れた、当時の銀座の「ギラギラ感」です。
それとともに、強烈な思い出が。
それは、お寿司を皆で堪能中の出来事。
うま兄貴は、どうしてもトイレに行きたくなったのであります。母親にトイレに行きたいと伝えると「寿司はお母さんが頼んであげるけれど、トイレの場所くらいは、自分で聞きなさい!男の子なんだから!!!」と、目の前の「寿司」に必死な母親から言われてしまう。
恥ずかしい。しかし、生理現象には適いません。
幼年うま兄貴の勇敢なる冒険。
勇気を振り絞り・・・・・、振り絞り・・・・・
「すいません~。あの・・・・、『おしっこ・・・・』」
すると、ミラクルが。
職人さんが「へい!お待ち!おしんこ巻き!」
そう。うま兄貴の下(もと)に、黄色く輝く「おしんこ巻き」が来たのでありました。
おしっこ・・・・・・・・・「おしんこ!」
カウンター一同、大爆笑!
うま兄貴「天然時代の夜明け」です。
この黎明期を終焉させ、うま兄貴の人生はしばらく「天然ぶり」を発揮することになります。
後日談。
20代後半の羽振りの良かったうま兄貴。
カウンター寿司屋に行き、最後に「お勘定(かんじょう)!」と言った際、「かんぴょう巻き」が出てくる、ミラクルも起こしました。
かんじょう・・・・・かんぴょう・・・・。
~完~
私たちの幼き時代で私たちの地方では、都会と違って外食先もあまりなかったような気がします。
返信削除たまに行く外食ではしゃいで食べすぎては夜中にお腹を壊す。。。とほほな自分を思いだしますた。。。