今日は、皆さんご存知のように「東日本大震災」があった日です。
私は、母がけがをして看病のため実家の岩手県盛岡市におりました。退院して美容院に行った母を迎えに車を運転していて、つけていたラジオが「ビービー」「運転中の車は路肩につけてください、大きな揺れがきます」というアナウンスが・・・まっさか〜と思いつつも前後の車が停まるんで、私も倣い、数10メートル先には松葉杖をついた母がいました、それを確認したとき、ぐらぐらと車が横倒れするかと思うくらいの揺れで・・・でも、その時は母が心配で冷静でしたね・・・窓を全部あけて、シートベルト外して・・・揺れが収まり母をピックアップして家にもどり、第2波がきて・・・岩手大学の学生さんの下宿屋をしていますので、みんなで手分けして買い出しをして2日間は皆で布団を持ち寄り皆で避難していました。
母の実家は陸前高田市で、テレビで映る惨状を母は、気丈に見ていました。多分、足を怪我していなければすぐ行ったでしょう。5日後に裏道なら通れるらしいという情報で、交代で運転し「母は、私の運転が信用できない」って言うんで・・・物資を届けながら行きました。
比較的、高台にある叔母の家から海なんかは見えなかったのに、目の前が開けていて海が見えて、周りはがれきの山で・・・愕然としたのを思い出します。
神奈川に帰る手だてがなかったので、滞在中は3回ほど物資を運んだかな。
素直にありがとうと言えない母が「今回は本当に助けられた、いて良かった」と叔母に話したそうで・・・流された親戚もいたので、とにかく主人の両親も自分の両親も、叔母も叔父もいとこも大切にしようと思ったのが1年前です。
日々の生活や仕事に追われ、母に電話するのも滞りがちになってしまい、(だめですね・・・)今日、特番などを見て、新聞を見て涙が出てきます。
何ができるんでしょうね・・・今年の24時間テレビにまつぼっくりでは観覧しようかという話が出ています。その時に、なにかしらの答えが出ていればいいと思います。
PS なかなか帰って来れなかった私を気長に待っていてくれたスタッフ、帰って来て「よくがんばった」と抱きしめてくれた理事長。ありがとうございました。
0 件のコメント:
コメントを投稿